日本被団協結成70周年
日本被団協結成大会宣言 世界への挨拶

〈写真=連合通信〉
原爆から11年あまりたった今になって、私たちは、はじめてこのように全国から集まることができました。あの瞬間に死ななかった私たちが今やっと立ち上がって集まった最初の全国大会なのでございます。今日までだまって、うつむいて、わかれわかれに、生き残ってきた私たちが、もうだまっておれないでてをつないで立ち上がろうとして集まった大会なのでございます。
私たちがこのような立ち上がりの勇気を得ましたのは、全く昨年8月の世界大会のたまものであります。あの大会で同胞の皆さんや、世界の皆さんたちにかすかな声が聞きとられて、私たちに温かいまなざしが向けられ愛の手がさしのべられはじめてから、私たちは急に元気づいてまいりました。私たちはこの機会に全世界の皆さんたちに心からの感謝と立ち上がりの決意とを披瀝したいと存じます。
又、私たちのこの感謝と決意の言葉は、あの瞬間に無残な死をとげ、又、その後のろうべき原爆症でつぎつぎに死んでいった30数万の父や母、息子や娘、夫や妻たちの声なき声に代っての言葉としてお受けとりいただきたいのです。
私たちは今日の集まりで亡き人々をしのび、又長い年月のかぎりない思いを互いに語り合いました。しかし、私たちの胸につもったかなしみと怒り、悩みと苦しみについてのつきることもない語り合いは、決してひとときのなぐさめや、きやすめのためではありませんでした。手をつないで決然と立ち上がるためにほかなりませんでした。世界に訴うべきは訴え、国家に求むべきは求め、自ら立ち上がり、たがいに相救う道を講ずるためでありました。
かくて私たちは自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意を誓い合ったのであります。
私たちは今日ここに声を合わせて高らかに全世界に訴えます。人類は私たちの犠牲と苦難をまたふたたび繰り返してはなりません。破壊と死滅の方向に行くおそれのある原子力を決定的に人類の幸福と繁栄との方向に向わせるということこそが、私たちの生きる限りの唯一の願いであります。
それにもかかわらず世界の現状はかえって水爆競争時代に入ったかのごとく広島、長崎の原爆に千倍の威力をもつ水爆の実験さえ行われています。私たちが「止めてくれ」と血の叫びを挙げているにもかかわらず、水爆実験は冷然として行われつつあります。原爆以来放射能の病いのおそろしさに直面してきた私たち、今年になってからだけでも早くも広島、長崎で数名の人たちが放射能の病いで死んでいった姿をまのあたりに見た私たちが、空気や水を放射能で汚染する水爆実験をどうして黙って見ておられましょうか。私たちはもはやいかなる力の前にも黙っていない覚悟です。
私たちは、遂に集まることができた今日のこの集まりの熱力の中で、何か「復活」ともいうべき気持ちを感じています。私たちの受難と復活が新しい原子力時代に人類の生命と幸福を守るとりでとして役立ちますならば、私たちは心から「生きていてよかった」とよろこぶことができるでしょう。
私たちの感謝と決意を披瀝して、この大会から全世界におくる挨拶といたします。
1956年8月10日
日本原水爆被害者団体協議会
〈座標〉
日本被団協結成70周年 あきらめずに声をあげよう
日本被団協は結成70周年を迎えました。結成時から「核兵器廃絶」と「原爆被害への国家補償」を求めて国の内外で実相を語り、運動を続けてきました。核兵器と人類は共存できないと、核兵器の反人間性を訴えてきました。そのことが核兵器禁止条約の採択・発効、ノーベル平和賞の受賞につながったのです。しかし、核兵器を保有する大国の力の支配は、いまだ終わりが見えません。それどころか今、核保有国は軍縮ではなく増強にすすみ、「核のタブー」は揺らぎ、法の支配が全く無視されています。日本政府も、核抑止政策をとり、国是としてきた非核三原則の見直し、憲法改正を言い出すなど、日本の平和主義の根幹が揺らいでいます。今、国内外の市民社会と連携して大きく声を上げる時です。
- 原爆の被害は戦争の結果生じたものですから、戦争を開始し遂行した国の責任で償われなければなりません。「原爆被害者の基本要求」と、2011年に決定した「ふたたび被爆者をつくらない決意を世界に!」を読み、国家補償について学び検討して自らの要求としていきましょう。
- 核兵器禁止条約は被爆者の長年の取り組みのなかで実現したものです。11月末からの第1回再検討会議にむけ、これまでに367万3660人分を提出した日本政府に条約への参加を求める署名を、10月までに400万人分に-証言の際に必ず署名用紙を持参し、支援団体にも協力をお願いしましょう。地方議会で被爆証言する機会をつくり、日本政府に条約への参加を求める意見書採択につなげていきましょう。
- 被爆者健康手帳所持者9万1105人、平均年齢86・66歳となりました。まだ被爆体験を語っていない被爆者が語ることができる機会を持ちましょう。
- 70年前に結成した日である8月10日に、結成の地長崎で、結成70年声明を発表します。「ふたたび被爆者をつくらない」ために、核兵器も戦争もない人間社会へ、諦めることなく声をあげていきましょう。
映画「サイレント・フォールアウト」上映 ノーベル賞賞金地方活動費で
鳥取県原爆被害者の会

鳥取県原爆被害者の会は6月28日、ノーベル賞賞金の地方活動資金を使ってドキュメンタリー映画「サイレント・フールアウト」を鳥取市内で上映しました。監督のトーク付きです(写真)。
伊東英朗監督は、アメリカ人に「皆さんは全員放射線で汚染されていますよ」という事実を伝えるためアメリカで上映することを目指した、と言います。
アメリカ全土がネバダの原爆実験、南太平洋での水爆実験などによって放射能汚染された模様を資料によって裏付けるほか、ガンを患った人の実態を調べるために子どもの乳歯を集めてストロンチウム90を測定し汚染の範囲や強度を調査した女性の行動を記録しています。世論の反発を受ける中でも証拠を積み上げケネディー大統領を動かし、核実験中止を宣言させるに至っています。核被害者の実態を見て無視できなくなったのです。
上映会は、昼の部は120人、夜の部は40人程が鑑賞。知らなかったエピソードがふんだんに織り込まれており、充実した映像に感動の声を聞くことができました。日本でも上映される機会が多くなっています。みなさんも身近に鑑賞する場を設けてみませんか。
(石川行弘)
ピースアクションinあおもり 学生とも交流
青森

ピースアクションinあおもり「平和のバトンを未来につなごう」が6月27日、青森市で開かれました。青森県生協連主催、青森県原爆被害者の会共催、青森県原水協と青森県原水禁が協賛しました。97人の参加でした。
第1部は長崎大学平和講座非常勤講師の原田小鈴さんの講演「広島と長崎で被爆した祖父山口彊からバトンを受けて」。原田さんは山口彊さん(故人)の孫で、家族証言者として活動しています。前日の26日には弘前大学生協学生委員との交流会も開かれました。
青森放送制作の「80年目の夏・青森に生きる二重被爆者の今」の上映、日本被団協の「2024年ノーベル平和賞 日本被団協代表団の記録」の上映等を挟んで、第2部は再び原田小鈴さんの講演「キノコ雲の上と下の物語~孫たちの葛藤と軌跡」。原爆を投下した爆撃機の搭乗員ジェイコブ・ビーザーさん(故人)の孫のアリ・ビーザーさんとの出逢いと交流の中で、葛藤しながら友情を深めてきた軌跡を、映像とともに語りました。
参加者からは「とても中身の濃い良い企画でした。家族みんなで取り組む活動、ご苦労も多いと思います。知ることがとても大事。もっとたくさんの若い人達に関心をもってほしいものです。でも、あきらめず、手ばなさず、しつこく運動は続けるべき」「被爆3世の方の生の声をきけてよかったです。知ることが大事とおっしゃっていましたが、それを実感しました。中学生の息子もつれてくればよかった…今日はありがとうございました」などの感想がよせられました。(青森県生協連報告書から)
積極的回答なし 国家補償など厚労省に要請
日本被団協

日本被団協は6月25日に厚生労働省会議室で、厚労省に対する要請を行ないました。定期総会翌日を希望していましたが厚労省側の都合によりこの日程になったもの。首都圏被団協の被爆者を中心に約20人が参加しました。厚労省側からは原子爆弾被爆者援護対策室の高橋裕子室長ほか5人の参加でした。
要請項目の1「現行の「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」を国家補償に基づく法律に改正すること」については、「法制定の趣旨・目的は同法の前文に明記されているとおりであるところ、政府としては、今後とも現行法の考え方を踏まえて、引き続き被爆者の方々の援護に努めてまいりたい」と述べ、従来通り国家補償を拒否する姿勢を見せました。
要請2「非核三原則を見直すのではなく法制化すること」と要請3「戦争はしない、核被害者を世界どこにもつくらないこと」については、担当省庁が違うとして回答はありませんでした。
長崎の被爆体験者について、過去に最高裁で「原子爆弾の放射能の影響を受けるような事情の下にあった」とは言えず、被爆者と認定できない旨の判示がなされていることを理由に、被爆体験者を被爆者とは認められない、と述べました。
このほかの要請についても、従来と同じ説明を繰り返し、積極的な回答はありませんでした。
日本被団協 活動日誌
7月
1日 機関紙編集委員会
3日 署名提出行動打ち合わせ(被団協、生協連、原水協、原水禁)・日本被団協結成70周年声明会議
6日 事務局会議
10日 継承ネット会議
7日 イタリア大使館参事官来所
15・16日 第457回代表理事会
31日 機関紙編集委員会
超党派国会議員に被爆証言 濱住事務局長と児玉事務局次長
29人の議員と26人の秘書が参加
超党派の国会議員による「核軍縮推進超党派議員勉強会」の呼びかけで7月9日、参議院議員会館会議室で「被爆体験を語り継ぐ会」が開かれ、日本被団協の濱住治郎事務局長と児玉三智子事務局次長が被爆体験を語りました。
「勉強会」は全国会議員に呼びかけを行ない、当日は9党29人の衆参国会議員と26人の秘書が参加。濱住さんは父の死と胎内被爆について、児玉さんは自身の7歳での体験と結婚や出産の差別、家族の死などについて語りました。
日本被団協はこれまでも国会議員に証言する機会を設けるよう要請してきました。また、議員へのアンケートでも、国会内で聞く機会を持ちたいとの声が出されていたところでした。
参加議員は以下のとおりです。(敬称略)
衆議院=<中道>泉健太 犬飼明佳 角田秀穂 西園勝秀 野間健 平林晃 原田直樹 福重隆浩 <国民>このみ亮太郎 長友慎治 鍋島勢理 西岡秀子 <みらい>山田えり 峰島ゆうや 参議院=<立憲>打越さく良 鬼木誠 塩村あやか 森本しんじ 吉田忠智 三上えり <公明>谷合正明 平木大作 <共産>仁比聡平 吉良よし子 <国民>舟山康江 芳賀道也 <れいわ>奥田ふみよ <社民>福島みずほ <自民>小川克巳
*
核軍縮推進超党派議員勉強会=2025年10月に代表世話人(森本真治、平木大作、福島みずほの各議員)と世話人(寺田稔、金子道仁、西岡秀子、吉良よし子、くしぶち万里の各議員)によって呼びかけられ、同年11月からほぼ毎月1回の勉強会を開催している。



手帳所持者数9万1105人
2025年度末 平均年齢86.66歳

2025年度(26年3月末)の被爆者健康手帳所持者数、諸手当受給者数などが、厚生労働省から発表されました。
手帳所持者は全国で9万1105人。前年度と比べ8025人の減少となりました。葬祭料の給付は7981件でした。平均年齢は前年度から0・53歳上昇して86・66歳でした。
健康管理手当など諸手当の受給者数は合計8万3280人で、手帳所持者の91・4%。原爆症認定患者数は4422人で、手帳所持者の4・9%、昨年度から333人減っています。
都道府県別では、手帳所持者が6人の山形が最少、次いで秋田が10人、岩手が12人です。諸手当の受給率は秋田と青森が100%です。
介護手当の支給件数は1万882件、家族介護手当の支給件数は7636件でした。これは毎月の件数を合計したもので、月平均にするとそれぞれ約907件と約636件にすぎません。またどちらも支給件数0のところが15道県あり、昨年度から減っていません。
【略年表】日本被団協のあゆみ
~ふたたび被爆者をつくらないために~
| 1945. 8. 6 | 広島に原爆投下(年末までの死者14万人) |
|---|---|
| 8. 9 | 長崎に原爆投下(年末までの死者7万人) |
| 54. 3. 1 | 米の太平洋ビキニ環礁での水爆実験で第五福竜丸など被災(ビキニ事件) |
| 55. 8. 6~8 | 原水爆禁止世界大会(広島) |
| 56. 3. 20 | 初の国会請願 |
| 56. 8. 10 | 日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)結成 (第2回世界大会(長崎)のなかで) |
| 57. 4. 1 | 「原子爆弾被爆者の医療等に関する法律」(原爆医療法)施行 |
| 66. 10. 15 | 「原爆被害の特質と『被爆者援護法』の要求」(つるパンフ)発表 |
| 68. 9. 1 | 「原子爆弾被爆者に対する特別措置に関する法律」(原爆特措法)施行 |
| 73. 4. 2 | 「原爆被害者援護法案のための要求骨子」発表 |
| 11.6~10 | 11月中央行動(厚生省前で5日間の座り込み) → 84. 3 全野党共同の援護法案提出 |
| 75. 11 | 「核兵器全面禁止国際協定締結・核兵器使用禁止の諸措置の実現を国連に要請する国民代表団」第一次代表団に代表2人が参加。ワルトハイム事務総長に会見し要請 |
| 76. 5. 31 | 「被団協」新聞創刊(79. 6~月刊化) |
| 76. 10 | 第二次代表団に3人参加。「事務総長への報告」・核兵器使用禁止国際条約(案)を持参 |
| 77. 7. 21~8. 8 | NGO被爆問題国際シンポジウム-3つの被爆者調査実施 |
| 78. 5. 22~6. 8 | 第1回国連軍縮特別総会(SSDⅠ)への国民代表団に日本被団協代表40人参加 |
| 78. 11. 14 | 市民11団体「被爆問題市民団体懇談会」発足 → 79. 1~ 援護法制定2000万署名展開 |
| 79. 6. 8 | 厚生大臣の私的諮問機関・原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇)発足 |
| 80. 4. 14~5. 22 | 「被爆者援護法制定をめざす被爆者全国行脚」 |
| 12. 11 | 基本懇「原爆被爆者対策の基本理念及び基本的在り方について」(意見)を厚相に答申 |
| 12. 11 | 日本被団協「声明」「見解」を発表して基本懇を批判 |
| 81. 7. 11~ | 「原爆を裁く国民法廷」運動始まる(全国80カ所以上で開催) |
| 82. 6. 24 | 第2回国連軍縮特別総会(SSDⅡ)に41人参加。ニューヨークで100万人大行進。NGOデーで山口仙二日本被団協代表委員が演説 |
| 84. 11. 17 | 「原爆被害者の基本要求」制定 |
| 85. 6~ | 核保有5か国(米・ソ・中・英・仏)に代表団派遣(~10月) |
| 85. 11. 1 | 日本被団協独自の「原爆被害者調査」実施(1万3千人余が回答) |
| 87. 11. 11 | 「折り鶴人間の輪行動」厚生省を包囲(支援者含め3500人参加) |
| 88. 5. 30~ | 第3回国連軍縮特別総会(SSDⅢ)24人の代表が参加。伊東壮事務局長が演説 |
| 90. 1. 22 | 「被爆者援護法実現・みんなのネットワーク」結成・よびかけ発表 |
| 94. 10 | 被爆者援護法制定に国会議員賛同署名衆参とも全議員の3分の2超。地方議会の援護法制定促進決議も、全自治体の4分の3にせまる2473自治体に。国会請願署名は1000万を突破 |
| 94. 12. 9 | 「原子爆弾被爆者に対する援護に関する法律」成立(95. 7. 1施行) |
| 95. 7. 30~8. 2 | 「被爆50年国際シンポジウム」 |
| 97. 7.6 | 日本被団協制作のパネル「原爆と人間展」完成。各地で原爆展開催 |
| 99. 5. 12 | オランダ・ハーグで世界市民平和会議。被爆者代表も参加(日本の憲法9条を高く評価) |
| 2001. 6.5 | 日本被団協「21世紀被爆者宣言-核兵器も戦争もない世界を」発表 |
| 03. 4. 17 | 原爆症認定集団訴訟始まる(~2009. 8. 6)。原告300人余。2011. 12までに29勝 |
| 05. 4. 29~5. 6 | NPT再検討会議へ日本被団協ニューヨーク行動 5. 2~27 国連本部で原爆展 |
| 05. 7. 29~31 | 「ノーモア ヒロシマ・ナガサキ 国際市民会議」(「わたしの訴え」提出) |
| 05. 10. 18 | 「被爆60年 10.18大集会―核兵器も戦争もない世界をめざして」 |
| 08. 5. 4~5 | 9条世界会議 シンポジウムで日本被団協代表が発言 |
| 09. 5. 1 | 『ふたたび被爆者をつくるな 日本被団協50年史』刊行 |
| 10. 4. 30~5. 7 | NPT再検討会議へ日本被団協ニューヨーク行動 5. 3~6. 22 国連本部で原爆展 |
| 10. 11. 12~14 | 広島でノーベル平和賞受賞者サミット。日本被団協「平和サミット特別賞」受賞 |
| 11. 6. 8 | 第56回定期総会、現行法改正要求「原爆被害者は国に償いを求めます」を決定 |
| 12. 2. 27 | 新パネル「ヒロシマ・ナガサキ 原爆と人間」完成 |
| 13~14 | 「核兵器の人道上の影響に関する国際会議」(13. 3 第1回ノルウェー・オスロ、14. 2 第2回メキシコ・ナジャリット、14. 12 第3回オーストリア・ウィーン)被団協代表が参加 |
| 15. 4. 24~5. 1 | NPT再検討会議へ日本被団協ニューヨーク行動 4. 24~5. 22 国連本部で原爆展 |
| 15. 10. 17 | 被爆70年のつどい「広島・長崎はなんだったのか?-今を戦前にしないために」開催 |
| 16. 4~ | 「ヒロシマ・ナガサキの被爆者が訴える核兵器廃絶国際署名」呼びかけ(~20. 12) |
| 17. 3. 27~31 | 核兵器禁止条約交渉会議第1会期 冒頭、藤森俊希日本被団協事務局次長が訴え |
| 6. 15~7. 7 | 交渉会議第2会期 7.7 核兵器禁止条約採択(賛成122、反対1、棄権1か国) |
| 10. 6 | 核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が2017年ノーベル平和賞受賞 →12.10 授賞式に(オスロ)日本被団協代表2人が出席 |
| 20. 12. 31 | ヒバクシャ国際署名 最終集約数 13,702,345人分に (1.8 国連本部に提出) |
| 21. 1. 22 | 核兵器禁止条約発効 |
| 22. 6. 21~23 | 核兵器禁止条約第1回締約国会議がウィーンで開催。被団協代表2人が参加 |
| 8.2~9 | NPT再検討会議へ日本被団協ニューヨーク行動 8.5~9.2 国連本部で原爆展 |
| 23. 11. 27~12. 1 | 核兵器禁止条約第2回締約国会議がニューヨークで開催。被団協代表2人が参加。木戸季市事務局長がハイレベルセッションとパネル討論で発言 |
| 24. 8. 28~29 | 「核被害者フォーラム」がカザフスタンで開催。被団協代表が参加 |
| 10. 11 | 2024年ノーベル平和賞を日本被団協に授賞と発表 |
| 12. 10 | ノーベル平和賞授賞式がノルウェー・オスロで開催、田中熙巳代表委員が受賞演説 |
| 25. 3. 3~7 | 核兵器禁止条約第3回締約国会議がニューヨークで開催。被団協代表2人が参加。濱住治郎事務局長代行が初日のセッションで発言 |
| 7. 23 | 被爆80年 日本被団協 日本原水協 原水禁が共同アピール |
| 7. 22~29 | ノルウェー・ノーベル委員会フリードネス委員長来日、広島、長崎、東京を訪問、上智大学でノーベル平和賞カンファレンス『核兵器の脅威への対応』開催、日本被団協事務所訪問 |
| 8. 5 | 「被爆80年声明」発表 |
| 26. 4. 24~5. 3 | NPT再検討会議へ日本被団協ニューヨーク行動 4.27~6.2 国連本部で原爆展 |
「自らを救うとともに人類の危機を救う」ため
たたかい続けた日本被団協の70年

日本被団協結成70年に寄せて
被爆者たちの総力を集めた『原爆被害者の基本要求』
𠮷田一人(1980~87日本被団協事務局次長)

長崎中学2年生の時、爆心から南東約3㎞の中川町で被爆。爆風で10数メートル吹き飛ばされ腰を打撲しました。
戦後新制高校卒業まで長崎。大怪我の方、髪の毛の無い女学生などをくり返し見ながら、自分は被爆者の内に入らないとずっと思っていました。
上京して通信社の記者になり、東友会と日本被団協の活動に参加。当時の勤務地の港区、居住地の保谷町(現・西東京市)で被爆者の会を作りました。
1980年、機関紙「被団協」新聞月刊化のため事務局次長に。その年の冬「原爆被害を国は補償しない、我慢せよ」という基本懇答申。被爆者たちの総力を集めて反撃しなければと、そのまとめ役に。
各地からの多様な要望を募り集め、秋の代表者会議でもなお数々の意見が出て。
それらも採り入れながら、『原爆被害者の基本要求』を取りまとめたことが、私の被団協経験のなかで一番の記憶であり、誇りです。
核兵器禁止条約が実現し、核兵器廃絶は被爆者たちの悲願から、世界の人々の切望へと大きく成長しました。
まだ道半ばですが、日本被団協70年おめでとうございます。
核兵器廃絶への協働、さらに
ジョン・スタインバック(ワシントン)

アメリカ・ワシントンの「首都圏ヒロシマ・ナガサキ平和委員会」のジョン・スタインバックさんから、日本被団協結成70周年への祝辞が届きました。ご紹介します。
*
親しい仲間の皆さん、結成70周年にあたり、首都圏ヒロシマ・ナガサキ平和委員会は核兵器廃絶のためのみなさんのたゆみない努力を思い、43年にわたるみなさんとの緊密な協力を喜びとするものです。
1985年、小西悟教授ら代表団のみなさんが私たちの集会に来られたのを機に最初の協働が始まり、最近のニューヨークでの集まりまで、私たちの委員会はこれまで100回を超えるイベントで被団協の代表団をお迎えしました。
私たちとの関係を強化するためにとりわけ、田中熙巳さんには大きなご努力をいただきました。感謝いたします。
この数十年の長きにわたる協働をさらに続け、子どもたちが思いやりに溢れた美しい未来を享受できるよう、ともに核兵器廃絶のために働きましょう。
たたかいの中で。
委員会を代表して ジョン・スタインバック
(高草木博・訳)
ヒロシマ・ナガサキと憲法(1)
日本被団協は今年の総会、『平和を守るには「憲法9条」の堅持を』との特別決議をあげ、「日本国憲法の世界的意義を学」ぼうと呼びかけました。
日本国憲法を学ぶためノーモア・ヒバクシャ9条の会の資料「ヒロシマ・ナガサキと憲法」(吉田一人編)を連載します。
*
1.戦争への反省と日本国憲法
◆九条の会発足アピール
日本国憲法は、いま、大きな試練にさらされています。/ヒロシマ・ナガサキの原爆にいたる残虐な兵器によって、五千万を越える人命を奪った第二次世界大戦。この戦争から、世界の市民は、国際紛争の解決のためであっても、武力を使うことを選択肢にすべきではないという教訓を導きだしました。/侵略戦争をしつづけることで、この戦争に多大な責任を負った日本は、戦争放棄と戦力を持たないことを規定した九条を含む憲法を制定し、こうした世界の市民の意思を実現しようと決心しました。(2004年6月10日九条の会「発足にあたって」の冒頭)
原稿募集
「被団協」新聞に、原稿をお寄せください。
「日本被団協結成70周年に寄せて」、「『原爆被害者の基本要求』を読んで」や、『被爆者からあなたに』(岩波ブックレット)の感想、憲法への思いなどのほか、身近な話題、本や映画・演劇の感想、新聞・ラジオ・テレビなどの報道で感じたことなど。署名活動や証言活動の報告は写真もお願いします。
氏名、年齢、住所、電話番号を明記して、郵送かEメールまたはFAX(写真は郵送かEメール)でお送りください。
〈相談のまど〉
介護保険サービス利用料
限度額を超えた自己負担分 被爆者の介護手当の申請を
【問】母(被爆者)は寝たきり状態で要介護4の介護認定を受け、種々のサービスを受けながら在宅で生活しています。
いま心配なのは要介護4の利用限度額を超えると、超えた部分が全額自費になるということで、ケアマネジャーから、限度額を超えるのが5000点になると言われました。1点単価が10円とのことで、現在負担している利用料の1割分と合わせると、年金生活では自己負担分が出せそうにありません。
被爆者の介護手当というのがあるそうですが、それはどういうことでしょうか。手続きなども教えてください。
* * *
【答】要介護4の状態で在宅生活を送るとなると、訪問看護や訪問リハビリと訪問入浴、何種類かの福祉用具のレンタルとヘルパーサービスを組み合わせたサービス計画になります。訪問入浴は1回の利用額が大きく、訪問看護や訪問リハビリも週何回もということになれば要介護4の支給限度枠3万938単位を超えてしまいます。さらに訪問介護(ヘルパー)を利用するとなると毎月の負担額は生活を脅かしてしまいます。
被爆者には先人たちが運動して勝ち取った「介護手当」があります。費用を支払って受ける費用介護手当と、同居家族に支給される家族介護手当がありますが、お母さんの場合は費用介護手当の対象になります。費用介護手当には、介護を受ける被爆者の障害の程度によって中度と重度の2種類があり、お母さんは重度に該当すると思います。手当額は中度が月額7万5820円、重度が11万3740円を限度に支給されます(東京都では独自加算があります)。
お母さんのサービス計画をケアマネジャーに立ててもらう際に、訪問看護・訪問リハビリや福祉用具、訪問入浴を支給限度枠内に入れ込んだ計画にしてもらい、ヘルパーサービスは自己負担扱いにしてもらいましょう。この自己負担分が被爆者の介護手当の申請対象になります。
介護手当の手続きは、お母さんのお住まいの保健所または県の被爆者援護担当課に連絡して申請書類をもらい、主治医の介護手当用診断書に添えて訪問介護事業所から発行された領収書とサービス計画書の写し等を添付して申請します。
診断書は認定された期間は提出する必要はありませんが、毎月、介護事業所の領収書と介護状況や日数がわかるサービス計画書の写しを提出することで、お母さんの銀行口座に介護手当が振り込まれます。
毎月手続きするのは面倒ですが、経済的に少しは負担軽減になると思います。