2026年4月号 主な内容
1面日本被団協が声明 イラン攻撃、核弾頭増
ノーベル平和賞受賞記念碑・長崎 次世代に平和をつなぐ道標に 爆心地公園で除幕式
3・1ビキニ記念のつどい 田中熙巳代表委員が登壇
国連原爆展開催決定 NPT再検討会議へ準備ラストスパート
2面被災72年3・1ビキニデー 「核兵器廃絶まであきらめない」 日本被団協役員が参加
核兵器廃絶の決意新た ビキニデー集会・北海道
ケアマネジャーも参加 被爆者施策学ぶ 岐阜・春の健康相談会
戦争やめよ 軍拡やめよ 広島で抗議行動
非核水夫の海上通信(260)
声明 国際法を無視するイランへの先制攻撃に抗議し、即時停戦を求める
=被爆者は大切な命を奪うすべての戦争に反対する

声明 フランスの核弾頭増への方針転換に断固抗議し、核兵器廃絶を求める
日本被団協 活動日誌
3面終末時計の針戻そう ホルツ氏が2027年に国際会議など提唱 田中聰司
被爆者運動に学ぶ ― ブックレット「被爆者からあなたに」を読んで
すべての日本人が手に取ってほしい

投稿 戦後80年から100年へ
投稿 被団協頑張って
私立中入試問題に「非核三原則」と日本被団協の名称
原稿募集しています
4面相談のまど
介護保険のショートステイサービス
被爆者手帳での助成があります

まどから
『学徒出陣最後の早慶戦』復刊にあたって

日本被団協が声明
イラン攻撃、核弾頭増

 日本被団協は3月5日アメリカとイスラエルによるイラン攻撃に抗議する声明を発表し、米国、イスラエルとイランの大使館に送付しました。また19日にはフランスの核弾頭増への方針転換に抗議する声明を発表、フランス大使館に送付しました(全文2面)。
 声明では、国際法を無視した軍事攻撃への抗議と、NPTで定められた核軍縮義務に反する方針への抗議とともに、戦争終結と核兵器廃絶を強く求めています。

ノーベル平和賞受賞記念碑・長崎
次世代に平和をつなぐ道標に

爆心地公園で除幕式

 日本被団協ノーベル平和賞受賞記念碑(長崎・経過について前号既報)の除幕式が3月8日、関係者や被爆者・市民など220人を超す人々が見守る中、長崎市原爆資料館前の爆心地公園で行なわれました。
 高さ1・7メートル、50センチ四方で重さは約1トン、大理石で出来ています。長崎工業高校の生徒2人のデザイン案をもとにした碑の上部は9本の「祈りの手」が地球を支える形。台座の正面には「日本被団協 ノーベル平和賞受賞記念碑」の文字の下、1982年国連で初めて被爆者として演説した故山口仙二さんの「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」の言葉が刻まれ、左側面には憲法9条の条文が刻まれています。
 日本被団協の田中重光代表委員は「次世代に平和をつなぎ、核兵器をなくしていく、そういう道標に」と語りました。
 長崎市の鈴木史朗市長は「平和を取り巻く情勢が厳しい中、憲法9条条文が刻まれた日本被団協ノーベル平和賞受賞記念碑が長崎市の平和公園に建立されたことは大きな意義があり、長崎市にとっても大きな喜び」と祝辞を述べました。
 デザインに参加した長崎工業高校の生徒は「僕のデザインが少しでも世界の平和に役立つならうれしいです」と喜びを語りました。長崎工業高校の前身は県立長崎工業学校で、かつて爆心地から北東へ約800メートルに位置していました。原爆投下により校舎は倒壊・全焼し、教職員22人、生徒199人の計221人が亡くなるという甚大な被害を受けました。故山口仙二さんの母校でもあります。建立委員会の要請に応じて324もの応募があり、生徒たちの平和への熱いコメントが記されていました。
 憲法9条の条文が刻まれた記念碑が公共の公園に建立されたのは、沖縄を除いて初めて、また被爆者団体が9条の記念碑を建立するのも初めてのこと。この碑が出来たことで別々のようであった核廃絶の問題と憲法9条とが一つに融合した、という声も聞かれました。
 資金集めは、2024年9月28日を皮切りに、毎月3日を街頭募金の日とし、寒風の中も太陽が照る中も、被爆者は街頭募金に立ちました。市民の反応は決して暖かいものばかりではありませんでしたが、「未来への投資だ」と中学生が300円を募金したり、下校中の高校生が呼びかけに応えて一緒に募金箱を抱えたりビラを配ったりと、励まされる場面も経験しました。(費用の約半額はノーベル平和賞賞金から日本被団協が負担)
 長崎原爆被災者協議会の被爆80年記念事業に協力してきた大学生・高校生20人余が、除幕式でも会場設営などに取り組みました。
 「腹の立つニュースばかりの毎日の中で、これほどうれしく思った明るい話題はない」という被爆者の声もきくことが出来ました。(長野靖男)

3・1ビキニ記念のつどい
田中熙巳代表委員が登壇

(右から)田中さん、内海さん、市田さん

 第五福竜丸がアメリカの核実験で被曝して72年の3月1日、「3・1ビキニ記念のつどい」(主催・第五福竜丸平和協会)が、日比谷図書文化館コンベンションホールで開催され、約180人が参加しました。日本被団協代表委員・田中熙巳さんと歴史社会学者・内海愛子さんが登壇し、ビキニ事件当時のようすなどを話しました。
 冒頭、俳優の吉永小百合さんの、子どもの頃ラジオから聞こえてくる久保山愛吉さんの容態に不安だったこと、それが今原爆詩朗読につながっている、というメッセージが紹介されました。
 田中さんは被爆者であることを語ることなく過ごしていた時期にビキニ事件がおこり当時働いていた東大生協の仲間と原水爆反対署名を集めたこと、久保山愛吉さんの死に衝撃を受けたことを語りました。
 この頃中学1年生で久保山さんにお見舞いの手紙を送った内海さんは、ラジオから聞こえてくるガイガーカウンターの音にリアリティを感じたこと、アジアとの国交を回復していく途上で問題となった賠償問題に関心を寄せていたことなどを語り、田中さんとの対談の中でもアジアへの視点の欠落を指摘しました。
 田中さんは終りに「日本は豊かな国だといわれるが、いまいちど一人ひとりが豊かさとは何か、権力を持つとはどういうことか、人権や民主主義についてじっくりと考える必要がある」と強調しました。(市田真理)

国連原爆展開催決定
NPT再検討会議へ準備ラストスパート

 核兵器不拡散条約(NPT)第11回再検討会議(4月27日~5月22日、ニューヨーク国連本部)に向けて、日本被団協は代表団を送るとともに現地での活動について準備を進めています。
 これまでNPT再検討会議の期間に原爆展を4回開催してきました。今回も4月27日から6月初旬まで、国連総会議場ロビーでの開催が決まりました。前回の2022年はまだコロナ禍の中で国連本部への出入りが制限されており、見学できる人が限られていました。今回は市民や子どもを含む多くの人にみてもらえると期待しています。
 各国代表部に面談要請をしていますが、核兵器国との面談が難しくなってきており、前回、核兵器国で面談できたのは英国のみでした。

被災72年3・1ビキニデー
「核兵器廃絶まであきらめない」

日本被団協役員が参加
3・1墓参行進
濱住さんが「誓いのことば」

 アメリカのビキニ環礁での水爆実験被災から72年、第五福竜丸の母港静岡県焼津市で2月28日と3月1日にビキニデー集会等が行なわれました。
 28日の日本原水協全国集会には日本被団協の児玉三智子事務局次長が挨拶しました。
 1日の久保山愛吉墓参行進、墓前祭およびビキニデー集会には、濱住治郎事務局長が参加。墓前祭の「誓いのことば」で「今、世界は戦争の中にあり、今にも核が使われるのではないか、人類滅亡の瀬戸際にあります。核兵器は人間と共存できない悪魔の兵器であることを忘れ、‘核抑止’の名のもとに核兵器を持ち続ける国があります。日本政府も禁止条約に参加していません。私たちはあきらめません。核兵器がこの世から無くなるまで、いのちの限り私たちの実相を語り続けます」などと述べ、ビキニデー集会の挨拶では「みなさとともに核兵器も戦争もない世界の人間社会をもとめ運動を進めてまいりたいと思います。ともに頑張りましょう」と結びました。

核兵器廃絶の決意新た
ビキニデー集会・北海道

講演する児玉さん

 ’被爆者とともに戦争も核兵器もない世界を’ 3・1ビキニデー北海道集会が2月14日、札幌市内で開催されました。参加した被爆者と講師の日本被団協事務局次長児玉三智子さんが「(久保山)愛吉・すずのバラ」にちなんで赤いバラを祭壇に献花して犠牲者を追悼し、核兵器廃絶の決意を新たにしました。
 児玉さんは、「ノーベル平和賞受賞は喜びとともに重責を感じている、被爆者と被団協を支えてともに運動してきた皆さんと喜びあいたい」と笑顔で話し、会場は暖かい拍手に包まれました。また「被爆者は死ぬまで被爆者です」「80年を迎えた今でもあの日が消えることはありません」と被爆体験を語り、「核兵器はなくすしかありません」ときっぱり。31歳の青年から「被爆体験を伝えてくれたその勇気に励まされる思いがします。皆さんが被爆者のお話を次の世代に引き継いでくださいという児玉さんの言葉に、背中を押されました。必ず伝えていきます」との感想が寄せられました。(嶋田千津子)

ケアマネジャーも参加
被爆者施策学ぶ

岐阜・春の健康相談会

 岐阜県原爆被爆者の会(岐朋会)は3月12日、県の委託事業として「春の健康相談会」を行ないました。岐朋会の14人を含む33人の参加でした。
 これまでは被爆者自身の健康に関する相談会を行なっていました。しかし高齢化とともに被爆者自身での病院や介護施設への対応が難しくなってきていることや、被爆者健康手帳を知らない病院もあること、ケアマネジャーも同様であることがわかってきたため、今回は県健康福祉部から県内被爆者204人とともに地域包括支援センターやその他の施設にも相談会の案内と中央相談所発行の「被爆者のしおり」を送付してもらい、岐阜県下のケアマネジャーの団体である居宅介護支援協議会にも県から依頼してもらいました。
 初の試みであり心配でしたが、ケアマネジャー等介護関係者11人の参加があり、中央相談所の原相談員の講義を聞いて、「被爆者手帳のこと、介護保険との関係のことなど知らないことばかりで参加してほんとに勉強になった」など多くの発言、質問がありました。これを機会に広めていきたいと思います。
(福田義男)

戦争やめよ 軍拡やめよ
広島で抗議行動

 核保有3カ国の戦争強行やフランスの核弾頭増強の表明に、広島では、声明発信、集会など抗議行動が続いています。
 3月6日には被爆者団体、反核・市民団体など10団体の代表が合同で緊急会見。22日には14団体が、日本政府に核禁条約への参加を求める署名活動に併せて「核大国の横暴を許すな」と声をそろえました。(田中聰司)

〈声明〉
国際法を無視するイランへの先制攻撃に抗議し、即時停戦を求める
=被爆者は大切な命を奪うすべての戦争に反対する

 2026年2月28日、アメリカとイスラエルは、核開発疑惑をめぐる外交交渉中にもかかわらず、突然、イランの首都テヘランなどへの攻撃を行った。わずか数時間で最高指導者ハメネイ師をはじめ政府や軍の高官約50人を殺害、多数の軍事施設に打撃を与え、多くの子どもを含む一般市民も殺害したと報道されている。
 こうした一連の攻撃は国連憲章を蹂躙し、国際法に違反することは明白だ。日本被団協は厳重に抗議し、アメリカとイスラエルに直ちに停戦し対話による解決を目指すことを強く求める。
 また、イランも反撃に出ており、中東地域の緊張を高め紛争の拡大と報復の連鎖に繋がりかねない。イラン政府に一刻も早い対話の開始を要請する。
 日本被団協は一貫して、核兵器の非人道性を告発し、核兵器の使用禁止と廃絶を求めてきた。国際法無視と「力による支配」を絶対に許すことはできない。
 日本政府は、イランへの攻撃に対して邦人の保護は述べたが、アメリカとイスラエルに対して抗議をしていない。同盟国であっても法を無視した動きは見過ごすべきではない。アメリカとイスラエルがイランへの攻撃を直ちにやめ、「法による秩序」に基づく「対話」による外交をすすめるよう要請することを強く求める。
2026年3月5日

〈声明〉
フランスの核弾頭増への方針転換に断固抗議し、核兵器廃絶を求める

 フランスのマクロン大統領は、3月2日に核戦略に関する演説を行い、フランスの保有する核弾頭を増やす方針を発表しました。核抑止力の強化に向けて、同盟国を守る「核の傘」を欧州に広げていくためドイツやポーランドなど8か国との協力をすすめていくと述べました。「自由であるためには(敵国から)恐れられる必要がある」と強調。現在300発の核弾頭を増やすよう指示したと明らかにしました。欧州諸国の核の共同演習の実施を進めていくと言っています。マクロン氏とデンマークとメルツ独首相は共同声明を発表しました。
 一方で、核兵器を増やしてきている中国、また北朝鮮も核兵器の増産とミサイル開発の強化を方針に上げています。
 今年4月27日から5月22日までニューヨークの国連本部でNPT再検討会議が開かれます。NPTは3本柱のひとつとして「締約国が誠実に核軍縮を行う義務」を規定しています。また、2000年には「核兵器の完全廃絶を実現するという核兵器国の明確な約束」をし、2010年に再確認しています。これらの合意に逆行するものです。
 被爆から81年を迎える現在、核兵器が人間になにをもたらすのかを人類で最初に体験した被爆者は、世界の人々に強く訴えます。人類は死を選ぶのか生を選ぶのか大きな岐路に立たされています。
 原爆の‘地獄’を体験した被爆者は、これまで「ふたたび被爆者をつくるな」と国内外に訴え「核兵器の廃絶」を求めてきました。核兵器は悪魔の兵器で、人間と核兵器は共存できません。マクロン大統領の核弾頭数増量の言明に厳しく抗議し、翻意を強く求めます。
 私たちは、核兵器禁止条約の採択,発効に力を注いできました。核兵器を無くしていくことこそが、人類にとって生存を保証する唯一の道です。核兵器は禁止から廃絶に向け、ゼロにならなければ被爆者は安心できないのです。被爆者の苦しみは81年前の「あの日」から、今も続いているのです。
2026年3月19日

日本被団協 活動日誌

3月
9日 事務局会議
10日 二世委員会・原爆症認定訴訟3者打ち合わせ
11日 NY代表団説明会
16日 総会議案起草委員会・全国弁護団会議
18日 NPT行動関係団体会議
19日 NY代表団学習会
23日 事務局会議
27日 厚労省事務折衝
30日 総会議案起草委員会
31日 事務局会議

終末時計の針戻そう
ホルツ氏が2027年に国際会議など提唱

田中聰司

 人類滅亡までの残り時間を示す「終末時計」の決定に携わる科学者グループのダニエル・ホルツ米シカゴ大教授が3月10~12日広島市を訪れ、時計創設80年に当たる2027年に被爆者を招いて国際会議を開くと発表しました。
 ホルツ教授の広島訪問は、昨秋、証言活動でシカゴを訪れた筆者(日本被団協代表理事)と面談し、「時計の針を戻す」取り組みについて協議したのがきっかけ。二人(写真)は広島市役所で記者会見し、終末時計が史上最短の「85秒」になった危機感を人類が共有しようと、計画案を発表しました。
 計画は、世界のノーベル賞受賞者が広島に集う国際会議や科学者と被爆者との対話のほか、時計創設記念日に世界の教会、寺院などで警鐘を鳴らすイベント、緊急声明の発信など。シカゴや世界各地とオンラインで結ぶなどの共催行事も。
 二人は平和首長会議の松井一實会長(広島市長)と面談し協力を要望。松井市長は「しっかりかかわらせていただきたい」と応じました。ホルツ教授はこれに先立ち、長崎市の鈴木史朗市長を訪問し、懇談しています。また、日本被団協との共同の取り組みにしたいと強く望まれています。
 「終末時計」は1947年6月27日、原爆開発に携わったアインシュタインやオッペンハイマーらが作った『原子力科学者会報』の表紙に、核時代に警鐘を鳴らす象徴として用いられました。折しも、第1回広島市平和宣言(8月6日)が人類絶滅の警告を発した年でもあります。「残り7分」から始動した時計は。東西冷戦の終わり(1991年)に「17分」になったこともありましたが、その後針は進むばかり。今年の年明けの1月、戦争の拡大と核リスクの高まりなどを反映して、「85秒」にまで進み、人類は存亡の瀬戸際に追い詰められています。

被爆者運動に学ぶ ― ブックレット「被爆者からあなたに」を読んで
すべての日本人が手に取ってほしい

川上和子 東京・国立市在住

 まさに心血を注いで書かれた『被爆者からあなたに-いま伝えたいこと』、また被爆者の方々のバイブルのような『原爆被害者の基本要求-ふたたび被爆者をつくらないために』。生きているうちに核兵器廃絶の道筋をつけたいと命を削る思いで訴えてこられた被爆者の方々。証言されたみなさまの「人間として死ぬことも、生きることも許さない」との想像を絶する生き地獄のような証言。何度も読み進めなくなりました。
 2024年の被団協ノーベル平和賞受賞、2025年敗戦から80年…私なりに映像や資料また広島・長崎の旅と、自分の中ではかなり分かっている、知っていることでした。でも『被爆者からあなたに』を読んで衝撃とショックを受ける内容が多々ありました。核兵器禁止条約のための会議の段階で、すでに日本の大使が参加しないと表明したこと。(採択時の代表の席に置かれた折鶴は映像で見ました。)原爆投下直後に対米抗議文(広島のみで長崎はなし)を出していたこと。原爆終戦論、責任相殺、米内光政「天の助け」、東久邇稔彦のアメリカへの呼びかけ。オバマ政権下核兵器の先制不使用宣言が覆された背景、安倍晋三氏の反対など。
 『被爆者からあなたに』は後世に伝えるべき内容が全て網羅された第一級の資料です。全ての日本人が手に取れるようにすべきです。被団協のみなさまに心より感謝申し上げます。
 田中熙巳さんがおっしゃっています。「核兵器廃絶までの道の半分までやってきた。残りの半分もまた厳しい道のりになる」と。被団協のみなさまと共に私たち日本人として核兵器廃絶に声を上げ続けなければとの思いを強くしました。唯一の被爆国である日本国民として。

〈投稿〉
戦後80年から100年へ

日隈眞壽男(福岡)

 昭和20年8月9日、長崎に原爆が投下された時、私の家族は三菱造船所のすぐそばに住んでいました。翌10日朝、防空壕の中、私は生まれ、未熟児で手のひらに包まれた小さな赤子でした。食べ物も住む家もない、しかし壊れた家屋に赤子の私を含めて6人の幼い子どもたちは、母の袂をつかむように生きました。母の袂は10歳の長男を頭に6人の子どもたちの生命線でした。母は実家のある大分県天ヶ瀬へと、子どもたちを連れて長崎を離れました。原爆投下数日後のこと。それは奇跡的な生命線でした。
 原爆で、望まない形で生命を奪われ、二度とない大切な人生をはく奪された国民。「国のため」といいますが、人の生命と引き換えの、そんな平和は存在しません。
 戦後80年。再び日本は戦争へ向かおうとしている、80年の平和への知恵と努力が消えようとしている、水面で消える泡のように。
 戦争は人間性を喪失し、人の生命さえまるで獲物の感覚となる。そうでなければあの、広島、長崎への原爆投下はできていないでしょう。
 自国の安泰を戦争によって守ろうとするゆがんだ野望、弱者の犠牲の上に強者が栄える--原子爆弾の投下は、力にものをいわせる、まさにこのことに尽きます。
 戦争は愚かさが生むもの。しかしまるで正義であるかのように戦争に向かう。向かわせられるのは、今日を懸命に生きる国民ひとりひとりです。
 これから先、日本は他国の戦争の影響を受けて再び世界の戦争へ駆り出される可能性があります。今、日本は戦争しない国から戦争ができる国へと押し進もうとしています。戦争を放棄する憲法第9条を変え、平和国家の基盤を覆そうとしています。
 私たちは日本人としてこの国土に生きさせていただきました。これまで戦争を放棄してきた80年を生きてきました。
 これからも、戦後80年から100年へと、歩み続けたい。

〈投稿〉
被団協頑張って

久村成幸(滋賀)

 今年より「被団協」新聞を購読しています。先日衆議院選挙が行なわれ、自民党が大勝しました。憲法改正など、今後の日本にとって正直不安しか感じません。アメリカもロシアも核兵器の拡大を続けており、世界の脅威となっているということを分かっていないように感じます(世界の指導者は広島・長崎に来るべき!)。
 またSNS上でも政府・自民党=良、野党=悪という風潮があるのも、まるで非国民と言われているような感覚があり恐ろしさを感じます。被団協にはそのようなことにめげずに頑張っていただきたいです。(48歳・会社員)

私立中入試問題に「非核三原則」と日本被団協の名称

 東京にある私立開成中学校の社会科の入試問題で、「非核三原則」と日本被団協の名称に関する出題がありました。
 「非核三原則」については、その内容を問うもの。日本被団協の名称については、ノーベル平和賞を授与されたとして正式名称「日本原水爆被害者団体協議会」をあげ、広島・長脇に投下されたのは「原子爆弾」だったのになぜ「原水爆」となっているか、具体的な事件の内容をあげて説明をと解答を求めています。

原稿募集しています

 ◆『原爆被害者の基本要求』を読んで 1984年に策定された『原爆被害者の基本要求』、現在も日本被団協の基本文書として生きています。この中で掲げられた二大要求「核兵器廃絶」と「原爆被害への国家補償」は、いずれも実現していません。
 ◆『被爆者からあなたに』を読んで 岩波ブックレット『被爆者からあなたに~いま伝えたいこと』は、2021年7月に発行されました。原爆投下による被爆者の苦しみから、声を出し立ち上がって日本被団協を結成、その後の日本政府への国家補償要求と世界に核兵器廃絶を訴える運動のあゆみが、日本と世界の政治および市民運動の動きとともにわかりやすく記されています。
◆これらを読んで、新たに発見したこと、わかったこと、今後への決意など、感想をお寄せください。そのほか、身のまわりで起こったことや、ふと思いついたこと、日頃思っていること、「被団協」新聞の感想なども気軽にお送りください。
 氏名、年齢、住所、電話番号を明記して、郵送かEメールまたはFAXでお願いします。
 なお、掲載の際には紙面の都合上、編集を加えることがあります。あらかじめご了承ください。
 郵送先=〒105-0012 東京都港区芝大門1-3-5ゲイブルビル9階 日本被団協
 FAX=03-3431-2113
 Eメール=kj3t-tnk@asahi-net.or.jp
 なお『原爆被害者の基本要求』パンフレットや岩波ブックレット被爆者からあなたに~いま伝えたいこと』の購入は、日本被団協にお申し込みください。

〈相談のまど〉
介護保険のショートステイサービス
被爆者手帳での助成があります

 【問】一人暮らしをしている父が、初めて介護保険のショートステイを利用しました。これから定期的に利用したいと考えて、手始めに1泊2日利用しましたが、請求書を見て、この額を毎回支払うのは無理だと思いました。被爆者健康手帳を持っていますが、助成はないのでしょうか。

*  *  *

 【答】介護が必要になった時、介護者の負担軽減などでショートステイは多くの方が利用されていると思います。
 このサービスは、利用料だけでなく食事代と居住費が請求されます。利用料は利用者の「要介護度」で1日の負担額が決まっていて、介護保険証に利用者本人の負担割合が印字されています。
 食事代と居住費は自己負担ですが、低所得者対策があり、住民税非課税の場合保有貯蓄額により「補足給付」という軽減措置があります。非課税の場合の食事代と居住費は下の表のようになっています。
 お父さんの場合は課税世帯であり、貯蓄額からみて「補足給付」の対象外のようです。ですから食事代は1日3食として1445円。居住費はユニット型個室とか、多床室とかにより負担する額が決められていますので利用する施設との直接契約となり、負担する額も違ってきます。
 これらの額を合算すると1泊2日でも結構な額の負担になるかもしれませんね。
 しかしお父さんの場合は被爆者健康手帳により利用料が全額助成されます。もう一度請求書を見て利用料が請求されているか確認してください。請求されている場合は、ケアマネジャーを通じて被爆者健康手帳で公費請求してもらうように相談してください。中央相談所作成の「被爆者のしおり」(「被団協」新聞昨年4月号付録)をみせて助成対象であることを伝えてください。

まどから

 ◆4月から被爆者の各種手当が別表のとおり改定されます(東京では都の独自加算あり)。2025年消費者物価指数の対前年比変動率や、人事院勧告での月例給の改定によるものです。

『学徒出陣最後の早慶戦』復刊にあたって

中野雄三郎

 戦後80年、六大学野球連盟100周年だった昨年、私たちは「最後の早慶戦」保存会を立ち上げて『学徒出陣最後の早慶戦』の復刊を目指しクラウドファンディングに取り組みました(「被団協」新聞2025年11月号掲載)。多くの方々のご支援のおかげで3月6日、復刊することができました。
 昭和18年10月16日、戦争が激化する中で行なわれた最後の早慶戦(学徒出陣壮行早慶戦)。そのグラウンドに立っていた一人が、私の祖父・松尾俊治です。1980年早稲田大学野球部の笠原和夫氏と共に書籍を出版。2008年映画公開のタイミングで再版されましたが、その後絶版となっていました。この本は単なる野球の記録、反戦の書ではありません。戦争により青春を突然断ち切られた学生たちの「生きた証」でもあります。
 私は幼い頃、戦争はどこか遠くの国の話、映画や小説の中の話だと思っていました。しかし、この本を通じて、当時の学生たちが早慶戦を最後に戦地へ向かった事実を知り、戦争を「自分ごと」として捉えるようになりました。祖父は海軍に志願し、戦争があと少し長引けば特攻隊に行くところでした。今を生きる人はみな、運良く生き延びた人の末裔で、少し違えばこの世に生を受けることはなかったのだと思います。
 戦争は過去の話ではなく、今もなお多くの命が失われています。また、様々な問題を抱える日本においても、戦争は対岸の火事ではありません。多くの皆さまの思いも込めて『最後の早慶戦』を後世に語り継いでいきたいと思います。
 ささやかではございますが、このたび当会から日本被団協様に寄付をさせていただきました。
 微力ながら、スポーツを通して、命の尊さ、戦争と平和について考える活動を続けて参ります。
 *保存会HP
https://saigo-soukeisen.com